サンラザロの薦め
名古屋第一赤十字病院 柳澤真弓

鳥インフルエンザ、SARS、HIV感染……と最近は新聞の第一面に感染症の話題が出てくることも少なくない。もはや感染症の問題というのはただの医学の中の一つのトピックを超えて経済、政治、国際問題に及んでいる。そこが私が感染症に惹かれる点でもある。

この地域でも(発展途上国であれ、先進国であれ)、どんなときも(昔も今も)話題になる感染症に興味を持ったのはちょうど微生物や感染予防医学を大学で学びだしてからだと思う。ひどく成績は悪く、再試を何度も受けては教授である西園先生に「君は分かってないなぁ。」とつぶやかれたのを今でも思い出す。大学4年の終わり頃に感染予防医学の授業で「フィリピンにあるサンラザロ病院で研修を行うことになりました。」とサンラザロ病院で先生方が視察に行った様子をスライドで見るうちに「これは私が行かないで誰が行くの?」という考えが浮かんだ。

学内の試験(面接試験)とマイナーの再試験の嵐をなんとかクリアして(させてもらって)ついにフィリピンのサンラザロ病院にいくことができた。

サンラザロ病院は1577 年に創立された感染症専門の病院である。2001年に大分医科大学と学術協力協定を締結し、私はその翌年の2002年の8月に2週間の予定でサンラザロ病 院で研修をした。当時ポリクリが始まる前の5年生は私を含めて4人、そして4年生は6人だった。サンラザロ病院は貧しい人には無料で医療を施すという公的 な色合が強い病院だったのでマニラの中心部にあるプライベートの病院と比較するとその施設の差はいうまでもない。病院の中には猫(ほぼ住み着いている。) が普通に歩いていたし、雨漏りしている廊下も普通にみなそこをよけて通っていた。トイレも水洗ではなかったので私は水分摂取をできるだけ控えたときもあっ た。しかし日本と何もかもが同じだったらわざわざ来る意味はなく、一緒に行った学生たちは今もサンラザロの話をすると病院の建物の話をする。

研修の内容は最初はグループに分かれてそれぞれの病棟で研修していたが何度も同じことを教える余裕がない、という病院側の希望で10人一緒に各病棟を回った。この病院のおもしろいなと思ったところは媒介性疾患病棟、下痢性疾患病棟、中枢神経系病棟、呼吸器病棟、結核病棟(まだ他にもあったかもしれない)という分け方しているところである。
媒介性疾患を扱っている病棟ではデング熱の患者が普通にいて(しかも「ベッドがない」という理由で一つのベッドにデング熱の患者が2人寝ていた。)肝脾腫、 眼球結膜の黄疸などポリクリが始まる前の学生にとってはまさに教科書で習ってきた事項が目の前に現実としてあった。狂犬病もサンラザロ病院では現実的な疾 患の一つである。実際に発症してしまった患者も入院していたし、「犬にかまれた。」といって毎朝多くの人が外来に押しかけていたのも驚きであった。

媒介性疾患病棟のドクターたちと

午前中は病棟で回診についた後、午後からいろいろなレクチャーが行われた。サンラザロ病院のレジデント対象のレクチャーにも出席したこともあったし、私たち10 人のためにゆっくりとした英語でレクチャーが行われたこともあった。レクチャーの内容はHIV神経症、デング熱総説、レプトスピラ症(ちょうど洪水があっ て流行っていた)、消化器系感染症、HIVに関連した症例検討会、などなど。そのとき取ったノートを読み返してもかなり実践的な内容だったことが分かる。(ノートを取っているときはスライドの字面を追うだけで精一杯だったが。)今、研修医として働き出してからまた違う点からそのノートを見るともっと質問したいことが出てくる。

研修中は病院にこもりきり、というわけでもなくいろいろな施設を訪れた。その中でも私にとって印象的だったのは世界保健機構西太平洋支局(WPRO) の訪問だ。夜の7時までWPROの職員が様々な観点からレクチャーをしてくれて終わる頃には私たちはかなりぐったりしてしまったが、世界の保健行政を担っ ている場所に自分が行けただけでもかなり私は嬉しかった。ここでの経験によって医師としての仕事の幅は自分が思っている以上に多岐に渡っているということ が分かった。

研修中、プレゼンをする機会を与えられた。タイトルは“The History and Strategy for Infectious Diseases in Japan”である。今思うとなんと立派なタイトルをつけてしまったのか……と思うが、あの時はこれが一番ふさわしいタイトルだと思っていた。プレゼンは日本にいるときからみんなで日本のとってきた感染症対策についてそれぞれ調べてまとめた。何度も推敲して、リハーサルも行ってきた。発表前日もホテルの 部屋で最終チェックをした。大汗かきながらプレゼンを終了したが、その後に多くの質問が来たのが嬉しかった。発表する内容は何であれこれからもこの試みは 続けられるといいと思う。

レクチャーの合間に

最後に語学について。研修中のレクチャーはもちろん全て英語だ。またレジデント対象のレクチャーに参加したときは喋る早さはネイティブのスピードである。レクチャー中は質問も自由にできる雰囲気だったが分からないところも分からない、ということがレクチャーによってはあったりした。ディスカッションに参加できなくてとても悔しい思いをしたことも何度かあった。「英語ができなくったって行けば何とかなるよ。」とは私は決して思わない。「百聞は一見に如かず」と いうことわざを実感することは何度もあったが、それと同じぐらい英語が分からなくて経験し損ねた、学び損ねたこともあったからだ。どうせ行くなら英語は やっておくに越したことはないと思われる。

私は、誰かサンラザロに行こうか迷っている人がいたら間違いなくサンラザロでの研修を勧める。たった2週間ではあったが自分のやりたいことを見つけるきっかけになったし、医師という職業の様々な可能性を気付かせてくれたからである。サンラザロで研修できたことは今でも私の大きな自信になっている。

WPROにて